あのねのね

とりとめもない自分のお話

自分の話って難しいですよね。

初めまして。

社会人を初めて早2ヶ月ちょい、な、ひよっ子女です。

 

1人で家に居て、職場だと怖過ぎる上司にビビリまくって、

休日はあっという間に寝てたら過ぎる・・・

みたいな生活を送っていると、

最近【自分の話】が出来なくなってきました。

 

もともと自分から「あのさーちょっと聞いてよー」

とかってブイブイ話をする方でもなかった、というのもありますが。

 

20年近く生きていれば、ある程度人格も形成されていく訳で、

その過程でどうも「KY」だとか「でしゃばり」だとか

そういう過剰な自己表現をひどく敬遠する環境にいたようです。

私達の世代ってそういうの色濃い気がしますね。

「謙遜」「沈黙」「共感」を私的三美徳に設定しそうな勢いでした。

いや、もうしている。

実際にそういうニッポンジンたる!みたいな価値観、凄く好きなんです。

 

しかし、しかしですよ。

社会に出たら自己表現て凄く大事です。

業種もあると思いますが、

私の職場の方は、関係者は、まあー喋る喋る。

自分の事、それに絡めて他人の事。

そうやってたくさんの人の中で、自分を売り込んで行く訳です。

 

「アンタ、今のままじゃ、存在感ゼロ」

と怖い上司(前述)に言われ、ああ、そりゃマズい。と。

 

確かに、私、

目上の人には

「社会人なりたての私めが、貴方様とお話させて頂くなど、言語道断。無駄話など致しません」

ぐらいに思ってしまうんです。

加えて、悪けりゃ友達とかでも、親でも

「あ、これ、ただの私の話だ。駄目だ。つまんないだろうし」

と思ってしまうんですね、これが。

 

そこでまた己を振り返ってみると、

”主語が「私」から始まるのはよろしくない”

という考え方が根付いているんです。

もともと、喋らんこともないけどお喋りでもない、微妙な口だったものですから

聴く側の方が多かったんですね。

自然と「喋る」友達が集まってきます。

 

そうするとどういう事が起こるか、といいますと

 

お喋りな友達が増える

→聴く側になる事が増える

→喋る量:相手6自分4ぐらいが楽だなぁと思ってくる

→そっちの方が相手も嬉しいみたいだし、じゃあそれでいいじゃん。聞き上手はモテるっていうし(ここらへんで歪んでくる)

→あー、でも喋りたいな、この人、自分で話してばかりいないで少しは私にも話振ってくれないかな

→自分の話ばっかりして帰りやがったアイツ。やっぱり喋る人より、聞き上手な人が優れているんだ、いや、なんか人格的に

→よし、私は自分の事ばかり喋らない、相手の対話を求める人格者になるぞ!

 

みたいな有様ですよ。

 

結局は「私も喋りたい!」が積もり積もってるのに、

長年味わってきた「自分の話ばっかりする人は嫌!」が邪魔して

もう、なあんにも喋れない。

そんな感じ。

 

「聞き上手」ってよく言われますけど、

真の「聞き上手」って「話し上手」ですからね。

うまーく自分も話しつつ、うまーく相手からも引き出してるんです。

だから、結局、長年私がやってきたのは「聞き上手風の、良くて相槌上手」ぐらいなもんです。

 

ここまでツラツラと自己紹介?を書いてきました。

こんな思考の流れから、このブログを始めるに至りました。

繋がってます?繋がってませんかね?

稚拙な構成で申し訳ないです。

 

まとめると、怖い上司(何度も出てくるので重要だと思って頂いて結構です)に

いっぱい怒られたひよっこ女が

「自分の考えを、自分の言葉で、できれば面白おかしく、人に発信していく」

ことの大切さに目覚めたということです。

「沈黙から感じて下さい。察して下さい分かって下さい」

とかいう甘えを捨てたいのです。

 

そういう意識で、なんとか筆を(手を)進めていけたらと思っています。

今後の指針としては、

日々の思った事

見た映画、本、展示などの感想

ももクロ(急に現れましたが、私の生きる希望は彼女らなのでちょこちょこ出てくるかと)の話

とかを、書いて行こうかと思っています。

 

少しでも早く、

人様に見せられる日記

となっていけたらいいね。

 

と、まあ、代休の夜更けにひっそりと1つのブログが始まりましたとさ。

明日からまた戦争(仕事)です。

 

 終